本を読ませない日本の学校

本を読ませない日本の学校

2016年07月17日

本を読ませない日本の学校

 

日本の学校での読書指導

「MR松本、最近、日本の子どもたちの国語力、特に読解力が落ちてきたね。たぶん、本を読む量が少なくなってるね。」

現地校で二十年以上にわたって、多くの日本人を指導してきた経験を持つアメリカ人の英語のダン先生が、日本から渡米した日本人の高校生の読書の少なさを、数年前に指摘しました。彼の説明によると、日本語で読書量が豊富で、読解力のある生徒は、2・3カ月英語を教えると、単語は良く理解できなくても、英文の意味が読みとれる。十年ほど前に比べると、そのような日本人生徒がほとんどいなくなった、とのことでした。

そこで、その生徒たちに話を聞いてみると、「アメリカに来てびっくりした。英語も良く分からないのに、アメリカの学校は本をたくさん読ませる。大変だ。日本の学校では、教科書は読むけど、本を読まさせれることはほとんどなかった」と、日米の学校での読書の差を話してくれました。

アメリカ生活が長くなり、日本の学校での読書指導の様子が分からなくなっていた私は、その話を聞いて、毎日の我が家の子どもたちの学校の課題図書の量と比べて、その違いにびっくりしました。

教科書を読めば十分?

「高校の教科書で定番となっている小説は、『芥川龍之介の羅生門』と『森鴎外の舞姫』くらい。それ以外の小説は、長すぎて教科書に掲載できないから」と国語の先生が教えてくれました。教科書で読むのは、短編か、長編の一部だけということになります。

「アメリカの学校での読書指導」でも紹介しましたが、様々なタイプの文章が掲載された教科書を授業で使うことはあります。しかし、中学・高校での「文学」の授業では、小説や戯曲の本1冊が教材となります。決められたページを読み終えて授業に出なければ、授業中のディスカッションなどに参加できません。そのため、年10冊くらいだと記憶しますが、子どもたちが教材の文学作品を読む姿を、家庭の中で日常的に目にしました。また、「学校の本買って」と、日本で言う文庫本のような小説を子どもたちにかわされたこともしばしばありました。

この日米の読書を基にした授業の違いを、ある時、娘が説明してくれました。

「補習校の国語では、短い文章の文一つひとつを使って、その意味や内容を勉強する。だけど、現地校の英語の授業では、本一冊や章単位で主人公の気持ちの変化や考え方なんかを読み取り、その内容についてディスカッションをする。」

この話から、日本・アメリカ、それぞれの国語・英語の授業の目的の違いがあるとは思います。しかし、最も大きな違いは読書量です。アメリカの「九歳までに読書力を」の標語通り、「読めなければ、勉強できない」教科書の厚さや、学校で要求される読書量の違いに表れて、日米の教育の違いなのです。